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私が棺桶に入るまで

棺桶に入る時何を思いたいか。自分なりに頑張ったと思えると良いな~

他人と自分の境界線③

変える事が出来るのは自分自身だけ

頭ではなんとなく判っていても、なんで?そうじゃないでしょ?って思うこと多くありませんか?

自分が辛い時、楽しい時嬉しい時、怒っている時、こうするべき、普通はこう。

時を共有した人物が居たら、同じように考え、感じるはずだろう。

それが常識だから。普通の感覚なら。

自分の常識を他者にも当てはめ決めつけているので、自分との違いを発見した時に陥りやすい感情。

「自分が悪いわけではない。」

「周囲は解ってない、解ってくれない。」

そんな怒りや悲しさが沸き上がります。

自分が正しい、常識人だと思いたいので、同じであってほしいだけなのかもしれませんね。

 

 

直近であった出来事ですが、私の常識感が発動しました。

思うことはあっても相手には言わないので、私の頭の中の不満感が湧いた。ってだけですが。

姉妹間のグループラインでの不思議。

 

ラインなどが普及してから、近くに居ない相手ともコンタクトがすぐとれます。

便利な反面、人間の感覚が狂う発端にもなっているアイテムだと思ってます。

 

私が高校生くらいにようやくポケベルが登場しました。

電話でなくても数字で暗号解読のように会話できますので、当時の私は便利なアイテムだ!!と思ってました。

それまでは、電話が繋がるまでヤキモキもするが届かなくて当たり前の世界。

手紙を書いても返事が速攻来る!なんてことは物理的無理な時代です。

 

携帯の普及によって、相手の状況次第では即返事が可能な時代になりましたよね。

相手が返事できない状態の可能性があるということは勿論わかります。

 

私の常識というか、礼儀というか。

そこらへんの捉え方ですが、毎度ではなく、たまに返信出来ない時、都合が悪い時に返信が遅くなる。これは理解できます。

しかし、日中返事が一度もなく、夜遅くに適当な返しがくる。

毎回続くと、そうゆう人間性なのだと私は相手を見てしまいます。

学校があったり、勤めに出かけてるわけではありません。

自分の身内なので、日中どのような生活を送っているのかも会話に上がり、ある程度は知っている状況です。

腕にスマホを連動させるアップルウォッチを着けているのにも関わらずです。

本人は私に、これをつけているから、母からラインや電話がかかって来ているのも知っているが無視してると堂々と言っていました。

ってことは、明らかに無視をしているんですよ。

ここまでは、そうゆう人だと知ることができるので付き合いしなくて良いと判断するのですが、そうゆう人に限って、他者からの無礼な行為と思えることには烈火のごとく怒るんですよ。

私の周囲の人間にそうゆう人が多いのかもしれませんが、私的には、

 

「・・・・・・え?」

 

ってなります(笑)

 

考えられる事は、

①返事したくないくらい嫌っている相手。

②内容を見て、関わりたくない事柄や、自分がどうでもいい内容なら返信しないと決めている。

③他者に関わること自体がストレスで自分を守っている。

④ただめんどくさい

⑤自分の気分次第では返信する。

⑥周囲にどう思われようとどうでもいいと思い実行している。

⑦自分の体調が悪く返信する気になれない。

 

まだまだありそうですが、だいたいこんな感じ?

 

他者と長く付き合っていると、その人となりはなんとなくはわかりますよね。

でも、これこそが自分の常識、価値観なのでしょうね。

 

返信しない!おかしい!自分が雑に扱われている気がする!

などなど。

 

身近な人間なので過剰に反応してしまっているのでしょうが、不思議にはなります。

他人に対しては自分の考えを声を大にして発言し、「周囲に悪く思われるって事に頭回らないのかな~」と批判はばっちりな人です。

以前は頻繁に連絡をしてきて、日中ずっとスマホにかじりつき、自分の意見を言いまくっていた人です。

これはこう!ふつうはこう!常識とはこう!人の批判には参加が早い人だった。

 

以前との明らかな違い。

そのギャップを自分自身はわからないのでしょうか?

 

昔はそんな相手でも、何かあったのかな?大丈夫だろうか?

話聞いてみよう!などとなっていましたが、自分の事はもちろん話しませんが、他者へあれこれ心配などをし、求められていない事は聞かないようにしました。

 

相手に土足で踏み込まない。

これって大事ですね。

私はおせっかいで、余計なお世話をしてしまっていたのかもしれません。

人から相談を持ち掛けられることが多かったので、私は聞き役だ!と要らぬ使命感のようなものを感じ自己満足で動いてましたが、それこそが余計なお世話なんですよね。

他人からはただの愚痴を聞いてくれる人間なんですよ。

それが嫌なら、私自身が選択するべきです。

 

と、選択していたら、周囲には人が居なくなりました(笑)

元々が都合の良い人間だったのでしょうね。

私が本当に困ったとき、つぶれそうな時に、声をかけてくれる人はいませんでしたから。

何かをしてほしいではなかったけど、声かけが欲しかった気持ちは隠せません。

孤独に感じたけど、それが現実でした。

かえって割り切れたものです。

自分が感じる情や愛情は、人とは違うのだと。

 

自分を変えれるのは、守れるのは自分自身です。

それが心底理解出来たら、他者への不平不満など割り切る考えにチェンジできるのだと思います。