他人と自分の境界線?②
理不尽さを受け流すことは大人ではなく、ただの事流主義
長女の価値観です。
長女と次女、全く性格が違います。
長女は、自分の信念に真っ直ぐすぎて職場で衝突してしまうようです。
「自分は組織で働くのは無理なのかなあ~」
そう言ってます。
自分を認めてほしい、他人を許せない。
幼いころから物事への理解力が高く、勉強もよくできました。
幼い頃は不平不満を言うこともなく、親としては子育てで困った記憶はありません。
それこそが、長女の今を作り出したのではと少なからず思います。
長女は元夫の子供で、親の不仲さなどを目の当たりにしたり、再婚してからは実の父親ではないお父さんとの関係、妹が生まれてからの孤独感、様々な事柄が小さな心を痛めてきた事だと思います。
小学校中学校でのいじめなども加わり、発達障害の妹がいるので、私に遠慮して甘えたいのに甘えられず、心の行き場を失っていたのでしょう。
今更ですが。
離婚したとしても再婚せず、長女と二人っきりの生活を送っていけてたら、長女はもっと幸福感を味わえて、嫌な事があっても受け流せるだけの余裕ができたのかもと思います。
意見が言えない次女もしんどさがありますが、受け流すことができにくいのも、ある意味しんどいですよね。
長女は小学生の頃に
離人症 抜毛症 になってます。
離人症とは。
離人感・現実感消失症では、身体または精神から自分が切り離されたような感覚が持続的または反復的にあり、自分の生活を外から観察しているように感じること(離人感)や、自分が外界から切り離されているように感じること(現実感消失)があります。
小学生の頃、「お母さん、現実感がしないねん。なんか、もう一人の自分を外側から見てる感じやねん」
その状態になると自分自身はしんどいのか?と尋ねると、とても疲れると言っていました。
離人症なんて聞いたこともなければ、どうゆう状態なのかも想像出来なかった。
ただ、なんとなくですが、私が幼い頃にたまに陥る感覚で、今生きているのか?との、たまにおきる不思議な感覚に近いのかなとは思いました。
私がそんな感覚になるのは、ほんの一瞬でしたので、疲れるようなこともなかったです。
ですので、離人症はもっと大変なものなのだと思う。
おそらく、長女は過剰なストレスを我慢していたのですね。
過剰なストレスから、抜け出したい思いからの離人症なのかもしれません。
抜毛症
抜毛症とは、繰り返し自身の毛髪を抜き、さまざまな程度の脱毛状態に至る慢性疾患です。衝動や思考を制御するために意図的に行う自覚型と、何かをしているときについ行ってしまう無意識型、二つの型があります。
年の離れた妹を持ち、その子が発達障害で、お母さんはその子に手がかかっている。
無意識に手が行きまつげを抜いてしまう。
止めようとしても、知らない間に抜いてしまうので、一時期はまつげが無い状態でした。
ネットや医学書などで調べて、これはちゃんと病院に行かねばと通院しましたが、
病院よりもまずその子が望んでいること、寂しさや悲しさ、辛さなどを私が聞くことで安心できるのではとも思い、抱きしめてじっくり話を聞きました。
抜毛症はいつの間にか治り、離人症の症状が出る頻度も減っていきました。
ただ、妹や、義理のお父さん(夫)、お母さん(私)の三人だけの空気があったと長女は言います。
長女を気にかけ、二人だけで出かけたり、二人だけでの会話、スキンシップを取るように頑張っていましたが、長女には足りなかったのかもしれません。
幼い頃からゲームが大好きな長女は、そこに逃げ場を求めました。
生活が崩れ、朝が起きれない、学校をさぼる。
毎夜楽しそうに通話しながらゲームをする。
唯一の居場所だったのでしょう。
ですが私は、そのような生活はいくら辛いことがあっても、ゲームを夜遅くまでして学校をさぼるのはダメだ!と。
ゲームするのは良い、だけど学校はちゃんと行かなきゃ!
そこばかりに目を向けていた私。
娘の胸の内はわかってるけど、ネットなどは人間をダメにするとの思い込みから、起きれない娘を叱った事もありました。
根本的なとこを受け止めきれてなかったですね。
主人は、自堕落に見える生活を嫌い、娘との距離は広がるばかりでした。
家族をまとめようと、楽しい会話を増やそうと頑張りました。
長女と夫
長女と次女
夫と次女
私と娘の関係性は、直接の思いをお互いにぶつけれる。
しかし、他者同志の関係性に第三者が取り持とうとすることがダメだったのかもしれません。
この3点への気遣いは半端なく大変でした。
元夫の娘という夫へのどこか遠慮のこもった気持ち。
振りでも良いから気を使ってくれ、私を大事に思うなら、私が大事に思ってる長女への在り方も気を付けてほしい。
可愛がってほしい、声掛けをしてほしい。実の娘(次女)とは愛情に差がでるのはわからないでもないが、長女が寂しくないように頑張ってほしい。
よくお願いをしました。
長女と夫が上手くいくように、長女にも夫にも、どちらにも話をする機会を作ってましたが、どちらも相手への感情があり、なかなかうまくいきませんでした。
そりゃそうですよね。直接言いたいことをお互いに言い合ってないのですから、表面上なんとか!なんてうまくいくわけがないです。
長女と次女の関係は、妹への可愛さがいつしか憎しみに変わっていると感じたとき、
お姉ちゃんだから!というのではなく、長女の気持ちを受け止めようと必死でした。
しかし、強気な長女が一方的に次女にきつく当たっていくのを見ると、つい口を挟んでしまいました。
長女のその時の感情は、やっぱりお母さんは○○の方がかわいいや!大切なんや!
のようになってたと思います。
その場で口を挟むのはダメですね。
長女は否定をされたと思い込むし、次女は自分の力でなんとかしようとする気持ちの芽生えを、小さい頃に積んでしまった気がします。
今でこそ、次女が不登校になったのは私にも原因があると長女は言ってますが。
色々な状況が重なって、みんな苦しみました。
夫と次女
不登校になって学校を休みがちになった頃、主人はどう思ってるのか、主人ならではの考えを聞いた事があります。
主人は私の考えをはっきり否定はしませんが反対だったのでしょう。
甘やかしているようにしか見なかったですね。
「今からそんなんじゃ、先は将来どうするん?何かあったら耐える事できない人間になる、すぐ逃げる人間になる」
そんな感じが言葉の端々に出てました。
私は、「今、高熱を出してたら休ませないとと思うのでは?骨折してる子に、頑張って走れ!と言う?目に見えない苦しさを理解しにくいのはわかる。だけど娘の苦しみは根性でなんとかなると簡単に思っちゃだめ。
本人は、今現在がしんどいと訴えてるのに、なぜ将来の心配まで植え付けるのか。先を心配せずに今現在を気にしてあげて」
夫は、大変なことは、「俺が何か言ったら喧嘩になるから」
と、めんどくさいことから目を背けているのでしょうか。
次女は、「学校に行けてないのを、お父さんはよく思ってないのがわかる、感じる。自分の苦しさ、発達障害を理解してもらえてない」
そう言ってました。
良くも悪くも、私の子育てに口を挟まない夫。
悪く言えば、まかせっきりなんですよ。
関心がないのもありますね。
発達障害についても、いまだによく理解していません。
いや、理解しよう、この子のために!という気持ちは薄いですね。
なので、私は、一人でなんとかする!!となってしまいました。
何度も話し合いを設けても、何も改善されずで私も疲れ果てていました。
次女には私がついてます。
発達障害の事もあってか、私こそが沢山学び、自分を改めた事で判ったこともあります。
長女は実家を出て恋人と暮らしていますが、家を出る前の出来事などを引きずっているように思います。
長女も家を出てからの方が客観的にわが家を見れるので、見方、夫や妹との付き合い方を良い方向にチェンジできたのでしょう。
私は今でも長女の心の苦しみを聞くと、本当に申し訳なく思い、胸がぎゅっとします。
辛さがバネとなり、弱さと強さ両方が出過ぎてる今。
他人との境界線が引けてないように思います。
孤独感を味わって大人になったので、自分の意見に沿わない考えの人や、意見してくる人に、自分自身を全部否定された気持ちになるのかもしれません。
なので、過剰に反応して、他人を許せなかったり、受け流すことができないようになってるのでは?と思います。
過去の私への思いが大きくて、満たされなかった感情が自分に鎧を着せてしまい、いつでも来い!と戦闘態勢になってしまうのだと思います。
長女とは大人になってから、よくそのような話をします。
私は、過去の反省した自分などの話や、寂しかった気持ちなどへの謝罪を何度かして抱きしめました。
長女が他者との境界線を引けるようになるには、長女自身が自分を罰してる気持ちや、自分を許せる気持ちが出てくると、寛容な心の容量も増えるかもしれません。
自分を抑え込もうではなく、自分はよく頑張ったと褒めてあげると、他人も許せるかもしれません。
それは、私も同じです。私の本質が娘も引き継いだのかも?です。
ただ私は、主人だけには割と意見しますが、子供たちを含め、親や姉妹、他人には、遠慮?(いや小心者だけか?)して我慢することが多いです。
主人には甘えれてるのかもですね。
人間の感情は難しい。