娘を発達障害にしたのは私?④
孤独感は辛いんだよ
昨日youtubeでたまたま観た動画。
ひきこもりの中年と高齢の親
5080問題?
的なやつ
観たら不安になると判っていても、つい観ちゃったね。
娘の中で不安の割合を大きく占めているのが、「将来の自分」
社会人になったとき、みんなのように働けるか?
仕事の説明が理解できるか?
一般就職できるのか?
発達障害はバレないか?
結婚できるかな?
などが、想像、妄想が、不安へと変わり、娘は毎日恐怖と闘っている。
娘は幼いころから抽象的な言葉が分かりにくかった。
「あれ取って、そこ閉めて、他多数」
聞き間違いも多く、言葉も間違って覚えていた。
市民プール→死人プール
太鼓の達人→太鼓の殺人
看護婦さん→監獄さん
その他もろもろ、私をおおいに笑わせてくれた。
余談だが、昨日勉強で、大西洋(たいせいよう)を「おおにしよう」と真面目な顔をして話すので大爆笑したアテクシ
話を戻します。
娘曰く、声は聞こえているのに頭に入ってこない。理解するのが遅い、できない
らしい。
以前書いたが、「聴覚情報処理障害(Auditory Processing Disorder=APDと略されることが多い)」
これなのか?
少し前に定期健診があり、主治医の先生に聞いてみたが、
「そうゆうのもあるかもです」
だそうです。
ん~~??
何か手立てはないのかね??
検査とかは~~??
と思ったが、前主治医が、違う病院に移ったため、初めての診療に口を挟むのもなあ~と思い今回は止めた。
娘が今非常に不安になっている事は、人との会話もその一つだ。
私は娘が幼い頃から何か説明したり、頼んだりするときは、普段より言葉をプラスして話すようにしている。
それでも、話が長くなってしまうと、集中できないのか頭に入りにくいみたいだ。
小学校に入ってからは、授業が全く頭に入らず、その日の給食を想像してニンマリしていたようだ。
先生の普段の指示もよく判らなく、周囲のクラスメートの行動をまねたりしていた。
算数と国語は支援級に移動して受けていたが、そこの担任から「なんでわからんの!!」と、しょっちゅう怒られていた。
「なんでわからんの!!」
これには、
おい!!!わからんから、支援級来てるんや!
と思うが、その先生には大変お世話になった。
クラス担任は他の生徒の事ばかり気にかけ、娘が過ごしている支援級には一度も顔を出すことが無かった。
教師が大変なことはよくわかっている。
一人だけに付きっきりになることもできない。もちろんわかっている。
当時、娘のクラスにはもう一人不登校の子がいた。
その子は保健室登校をしていた。
娘は教室には入れなくなったが、学校に行こうと努力をした。
何度も門前で立ち止まり、やっぱり無理と引き返すことも多かったが。
支援級で一時間ならとか、調子が良ければ給食までとか。
教室には入れずだが、支援級ではなんとか過ごせる日もあった。
保健室と支援級は、階段とトイレをはさんで隣に位置してた。
娘は何回か昼休みにトイレに行くときに、クラス担任とクラスメイトの上履きが保健室前に置かれているのを見つけていた。
その子のとこには来るんや・・・
悲しそうにそう言ってた。
給食の食器を給食室に戻す際も、支援級の前を通るのに、一言も声掛けをしないクラス担任に、支援級の担任は何度も抗議してくれた。
クラスのお便りも、娘に直接渡さず、支援級のポストに入れられていた。
私はもちろん、支援級の先生も、クラス担任に声かけしてほしいとお願いした。
顔を出してくれるだけでいいと。
しかしその後も顔を出してくれることはなかった。
2度ほど、教室に行ってみると娘は勇気を出し、教室に向かったが、娘が入ろうとする際、クラス担任は何にも言葉を発さなかった。
クラスメイトは一斉に娘を見、無言だった。
唯一、近所に住む、一年生からクラスメイトだった男の子は、おはようと声かけてくれていた。
娘は「みんなの顔がないように見える」
と言った。
そこから教室に行くことは一度もなかった。
娘は虐められていたわけでもない。
ただ、自分たちとは違うグループの人
だったのか。
支援級に通っていたから?
発達障害があるから?
クラスメイトが娘がいなくて当たり前のようになったのは、クラス担任の存在も少なからずあると思う。
実際、もう一人のクラスメイトの元へは、連日先生が生徒達と保健室に会いに来ている。
先生が、○○さん(娘)のとこにも行こう!と声かけしてくれていたら違ったのではないだろうか。
私は直にクラス担任と話した。
クラス担任は「○○先生(支援級担任)がいるから、ちょっと任せてしまって・・・今、クラスが大変なんです・・・」
とかなんとか言い訳していた。
これはダメだ・・・・
この先生は、娘は自分の受け持ちと思っていない・・・
これじゃあ、娘が入れるわけがない。
その事は娘には話さず、毎日登校することを目標に、娘が朝決断するのを待って、「行く」と言ったら、二人で雑談しながら登校しました。
出社が遅れようが一緒に登校。
いい思い出です。
対照的に、熱血先生は、一人卒業まで娘に寄り添ってくれた。
現在でも娘や私にラインをくれる。
すぐイライラしちゃうけども、本気で心配してくれる熱血先生だ。
口うるさいけど、大好きな先生のようだ。
一年生から六年生まで受け持ってくれた。
娘が対人恐怖症になっていったのは、6年生のあのクラスが追い打ちをかけたのかもしれないなあと私は思う。
いつも自分が下に見られている気がする。
支援級に行っているからバカにされているような気がする。
娘はそう言っていた。
支援級、発達障害、それは人より劣って恥ずかしいことなのだと思い込んでしまったのかも。
毎年、「障害を理解しよう!助け合おう!」
みたいな時間が設けられて、体育館に同学年が集められた。
そこで名前を上げられ、「○○さんは、障害があり、こんな事が苦手で・・なんちゃらかんちゃら・・・なのでみんな理解して助けよう!!」
との話があった。
娘はその時間が嫌だったと後に話してくれた。
ずっと下を向いていたと。
そんな時間があるのを私は知らなかった。
不登校になってから娘が教えてくれた。
学校に抗議した。
「障害理解を教えるのはわかります。ですが、名前を出されたら、当人はどんな気持ちになるか想像できないですか?」
ああ。思い出しちゃう。
なぜ、そうゆうのを正義と、素晴らしい事だと安易に思うのだろう。
話し方など、なぜ慎重になってくれなかったのだろう。
他にも娘の発言にどきっとしたことは沢山ある。
毎朝、門前で立ち止まってしまった娘。
取り囲む先生たち。一時間で良いから頑張ってみない??
(一時間頑張ってみる)と、勇気を出すと、一時間目が終わると、もっと頑張ってみようか?
そのような引き留めは帰り辛くなるのだ。先生は一時間って言ったのでは?
だから頑張れたのに、さらに頑張れと?
そんな気持ちだったのかな?
大人はすぐ話を変える。。。
そう言ってました。
一つできると、まだ頑張れるのでは?と先を急いでしまう。
そして負荷をかけてしまうのだ。
ノーと言えない娘は行くこと自体を嫌がった。
その話を聞いた私は、すぐに先生に連絡をして、一度決めた時間は必ず守ってください。
調子が良さそうでも、決めた通り帰してください。
その繰り返しが娘が安心して通えるようになるかも。と。
大丈夫だから。
その言葉には、今でも信用を置いてない娘。
先生方が、大丈夫だからというたびに、大丈夫だった事が無かったという。
それは、先生には大丈夫な事でも、自分には大丈夫じゃない事ばかりだと。
大人は不安を持つ子供を落ち着けようと発してるのだろうが、具体的に何が大丈夫か説明してるのだろうか。
本人の話をちゃんと聞いて、何が不安なのかを本人が言ったのか?それをもとに、これはこれでこうだから大丈夫やで!
そう言っているのだろうか。
ただ説明はすっ飛ばし、話は聞かずに、大丈夫大丈夫と言ってるだけではないだろうか。
不安だらけの娘には、この人が言うなら頑張ってみようと思える相手ではなかったのは確かだ。
話が長くなったので次回へ続く