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私が棺桶に入るまで

棺桶に入る時何を思いたいか。自分なりに頑張ったと思えると良いな~

娘を発達障害にしたのは私?③

良いことも悪いことも、変化はストレス

子猫さん、さようなら~~!!

 

5月22日に猫のお見合いに行き、その日のうちに連絡がありました。

はらぺたさん!この子をお願いします!!と。

その翌日5月23日にわが家に来て、トライアル開始!

で、5月27日お帰りになってしまった(涙)

はや!!!

 

娘が不登校になり、家族内(主に私)以外には心を開かなくなった娘にお友達を!!セロトニンを!!

という安直な考えで保護猫に応募したアテクシ。

 

いや、決してそれだけではないが。

捨て猫、捨て犬を見かけるとほっとけない性分で、実家に居たときから、犬だの猫だの連れて帰り、飼ってくれるまで粘ったアテクシ。

モラハラ夫(元)と結婚してからは、職場の人が捨て猫を拾い、

どうかこの子を!」と連れてきたので、もちろんOK!

その猫との出会いが、その後の辛かった時期を乗り越えれたと言っても過言ではない。

大げさな気もするが。。

 

モラハラ夫との別れまでの話はまた別で書くとして。)

 

その子は本当に寄り添ってくれる優しい猫だったんですよ。

エイズだった猫ちゃん。

エイズにも関わらず14年も生き、三途の川を渡る数日前(主に2日くらい)しか看病もさせないくらいに、飼い主の負担を減らしてくれたんですよ・・・涙

 

その幸せを思い出し、また猫を飼ったが、狂暴猫だった。

肥大型心筋症で、わずか7年であの世に行ったが、狂暴な部分はオブラートに包まれて、可愛かった部分だけ強調して思い出すことに成功したおかげで、また猫を飼おうと思ったアテクシ。

 

娘は、不登校になってから、過去の何気ない「普通の生活」を思い出している。

猫の事もそうだ。

噛み猫に追い掛け回され、「出ていけ~~」と猫に怒鳴っていた娘。

ハンターになり物陰から飛び掛かってくることに、恐怖を感じビクビクする毎日。

お母さん怖い~~と怯えていた日。

それでも、猫が落ち着いた年代になってからは、触れることはほぼない猫の寝姿などにキュンキュンしていた。

たまに気が向いたら膝に座ってくる猫に、嬉しそうにしていた記憶。

 

そんなこんなで、やってきた猫。

まさか、奴以上に噛み猫とは!!

前の猫とは違い、いつもハンターに変身し、目をギラギラさせている。

娘の恐怖カムバック

ついでにアテクシもカムバック

 

以前は闘えたんですよアテクシ。

 

今回は、「どうしよう。。。この先、またあのバトルが・・・・」

そして、昼間一人で家にいる娘は、四六時中猫と接しなければならない。

怖いし落ち着かない・・・・・・

 

猫が来てから明らかに表情が暗い娘を見て、悩むこともなく決断。

 

あの子は、先住猫がいるご家庭や、二匹以上で暮らすことが幸せでしょう。

 

ごめんね~~猫ちゃん。

 

 

猫が来てから、不安と恐怖からか、煙草生活に戻ってしまったアテクシ。

なんとまあ、依存とは凄いもんだ。

逆にタバコくらいで頑張れるのなら、不安と戦えるなら吸おうじゃないか!

 

娘にも不安が紛れるものがあればいいのに。

娘は不安が頭から離れる事はないのだそうだ。

夢の中でも不安や恐怖と闘ってるらしい。


不登校の子供の居場所

なかなか無いんですよね

自宅に居ても、罪悪感を持ってしまうと、そこは安心できる場所ではないんですよ。

「お母さんはしんどくても絶対に会社を休まないのに、自分は病気でもないのに学校に行けてない。普通の生活をできない。お姉ちゃんみたいにいじめにあっていたわけでもないのに学校に行けない。」

そう言って、自責の念に苦しんでます。

 

いやあ~母さんそんな勤勉でもないし(笑)

むしろサボりたいし働きたくないし(笑)

お金がないから休めないだけなんだが・・・

 

それでも娘からは、

頑張り屋のお母さん!

虐めにあっても頑張って通っていたお姉ちゃん!になっている。

 

幼い時は、他者との差、比較などが少ない状態だったので、耳の聞こえ方、感覚過敏含めてそれも通常通りだった。

成長する事に、色々な事に気づき、周囲からの視線が怖くなり、悪い方へ考えを巡らせてしまう毎日。

 

発達障害じゃなかったら不登校にはならなかったかな。

そもそも発達障害ではないとしたら。

 

私の判断で娘の人生が狂ってしまっていたら?。

 

そう思ってしまう。

発達障害の境界線ははっきりしてないんだと思います。

親が子供の特性を気にせず育てたり、診断したりしなければ、よほど問題行動を起こさない限り、周囲は何も思わないのではないでしょうか。

娘は、他者に被害を与える事や、扱いにくい子では決してない。

もし病院などに行かなければ、怖がりで、繊細な子供で終わったのかもしれない。

私が、物事をはっきりさせたい性格なために、グレーゾーンな娘に発達障害の太鼓判を押してしまったのかも。

 

「知る」ということは苦しい事でもある。

知らない方が幸せだったのかも・・・・・

 

 

かく言う、夫や私自身も発達障害に分類できるではないか!
ってな感じで思う。

苦手な事は障がいと分類するのであったら、みんなそうなるだろう。

 

皆、自覚がないだけです。

知らぬが仏・・・・・・

 

 

ああ~~~~!!書きたいことが進まない!!!