娘を障がい者にしたのは私?①
あなたも障がい者
発達障害の基準とは?
人間はみな障がい者だと思う私。
視力が悪いのも障がい
耳が悪いのも障がい
足が遅いのも障がい
人間の身体、脳は、他人と完全一致することはないですよね?
ある一定の基準、平均があり、それを下回ったら障がいなのでは?
そうすると、人間はほとんどの人が障がいを持っているということになると思います。
運動会で極端に踊れない子、足が遅い子、その子たちを障がい者だと意識はしないと思います。
せいぜい、運動神経が悪いんだな~くらいなのでは?
体毛の濃い人薄い人、唇の厚さ、口臭、虫歯、、、、、、
何でもありますよね?
な~~んとなくの平均もあるのではないでしょか?
生きていて、苦手な事、嫌いな事、困ることに遭遇したとき、他者と比較して、自分が劣っているからといって、いちいち自分が障がいなのだとは考えもしないでしょう。
今の私が思うには、とにかく人とは違うということ。
障がいを持っていて当然。
なんなら、そんなくくりいらない。
障がい者というくくりにしてしまってることがダメなのかもしれないと思います。
ここに書くことは、あくまでも私が思うことです。
お医者様でもなんでもない、ただの人なので、医学的にどうよ!?と言われたら、
「さあ~~??わからん!」
くらいしか言えませんので(笑)
さて。
現在はそのような想いに至った私ですが、次女が生まれて、なんとも個性のある子だ。
と意識しだしたときは、発達障害という知識を入れるたびに、
娘はこれでは??これがある!近い!
などと、突っ走ってしまったこともあったのだと思います。
私が娘の障がいを疑ったのは保育所に通いだしてからです。
明確に、これは絶対におかしい!!なんて事はなかった。
育児日記なんてつけるようなマメさは一切ない私なので、当時の細かいことは覚えていないが、娘が生まれてから、不登校、不安障害になる現在までを振り返りたい。
生まれてから現在まで、特に大きなケガもない娘。
不登校になるまでは、ほとんどといって病気やけがで病院にお世話になってもいない。
この子は変!!遅れてる!!と、明らかな思いはなかった。
ただ、長女を育てた経験や、直観??的なものから、
なんで?????
といったことは結構あったような気がします。
私の植え付けられた価値観などもあり、普通はどれくらいだろうか?
この月齢はどんなものだろう??
上の子はどうだったかな?
他所の子はみんなこんな感じ?
などと調べてました。
娘と接していて、困ったり、不思議に思ったり、成長とともに気にする頻度は増えていきました。
調べていくうちに、発達障害というものを知ったような?
自分と関係ない世界のもののようで、耳にしたり、目にしたりする機会があっても、全く意識してなかったので、日常に紛れて無知な状態でした。
私の中で、軽いものから、重いものまではあっても、確実に見てわかるものを障がいと認定されてるような印象でした。
さて、思い出しながら振り返ります。
娘が物心つく前の記憶では、
とにかく寝ない。
寝てもすぐ目が覚める。
音にたいへん敏感で、空気の揺れ?のようなものでも目を覚ましていたようなくらいの印象です。
そして泣きまくる。
今思えば、音が不快だったのかな?うるさかったのかな?怖かったのかな?
誰も知るよしのない事ですが、現在も非常に音に敏感で、つらい思いや、恐怖を感じている娘を見ていると、あれだけ泣いてたのはそうだったのかな~~?と思わざるを得ないです。
もう一つは触覚過敏
感覚過敏の中で、触覚過敏も思い当たります。
肌に触れる衣類や、口に入れたものなどへの敏感な反応です。
服のタグなどもそうですが、下着やズボン、スカートなどでも、きつくないのに痛いと訴えてました。
靴下の中の指の間に、汗がたまったりするのも気持ち悪がり靴下を脱いでました。
敏感肌用となっているものでも不快に感じて、嫌がって使えないものが沢山ありました。
泣くことでしか表現できない赤ちゃん時代は、一生懸命泣いていたのかもしれません。
とにかく泣くわ泣くわで、あまりにも泣くので、ドライブに出かけたり、当時あった、運動器具のラテラルサイトレーナーのペダルを踏みながら、ながら運動をしていたくらいです。
自宅ポストに、「子供うるさい」とメモが入れられてたの思い出すなあ。。
近所にも気を使いながら、シャッターもおろし、もちろん窓も締め切りで、ひたすら抱っこ、おんぶでクタクタになりながら頑張った。
泣き止ますというより、泣き疲れて寝てしまう?の繰り返しだった気もするが・・
パワフルだったな私(笑)
おっぱいへの執着
おっぱい大好きだった娘は、離乳食なんかより、おっぱいが良い!!
哺乳瓶なんて嫌だ!
おしゃぶりなんてベ~~!!!
って具合
おっぱい好きすぎて離乳食進まないなら、おっぱいとのラブラブタイムを無理やり続行。
おっぱいなくて仕方ないから、哺乳瓶で~~とはならず、そりゃ泣いた泣いた。
頑張るね~あんた。。。仕方ないな~~~どれ、おっぱいを・・・・
とはならず、負けじと母も頑張ったね。
無事、断乳。
そこからは、私のほほや、あご、首、肩、腕、とにかく吸い付けそうなところを見つけては、吸い付いて、キスマーク?とでもいうような内出血ができてた(笑)
運動に関しては、動き回って目が離せないと言うこともなく、逆にのんびりだったかな?
うつぶせや寝返りもほぼしなく、ハイハイをしだしたのもゆっくりめだったし、あんまりしませんでしたね。
ほとんど動かず、はいはい通り越して先に歩く?、そんなおぼろげな記憶です。
長女も、地蔵のように動かない子でしたので、私の子供はのんびりタイプなんだとしか思ってませんでした。
長女の時は早くに仕事復帰したので、3歳くらいまでは家にいたいな~と考えてた私だが、この子は、保育所に行った方がいいのでは?との思いがあった。
どれが正解かなんてわからないが、いい経験、思い出ではないかな?
お母さんと一緒にいるのも良いことだと思います。
ただ私は、自宅では味わえない経験をできる保育所で、沢山の刺激を受けるのが個人的にはお勧めしたい。
長女が保育所などで経験したことは、一対一の自宅では、なかなか味わえなかっただろう。
長女が楽しく通っていた記憶もあり、元務めていた職場からも、戻らないか?とのお声がけもあり、2歳児のクラスから保育所に入った。
保育所に入ってからの娘
入所当初の記憶は、1年くらいとにかく泣いてたね。
門に近づくと、泣くわ泣くわ。自転車にしがみつく。
いや~~~あれは長かった(笑)
初日や、数日ならわかるが、彼女は頑張ったね(笑)
今となればわかるけど、自分の知らないもの、場所、人、騒がしい場所、とにかく嫌な事だらけだったんでしょう。
泣いて訴える娘に、一時間くらい落ち着くのを毎日門の前で待ってました。
会社にもちゃんと了解を取り、遅刻前提の出社の毎日。
朝のお決まりの大泣きも、一年くらいたつ頃に、何がきっかけだったか、門前で泣かないようになった。
諦めたのか、気が済んだのか。
恐怖症?と言いますか、現在も進行中のトイレ恐怖症?
トイレトレーニングも難航した。
センサーで勝手に流れるトイレが怖いようだ。
これは、トイレだけではないが、流れるとわかっていてもビクビクしてしまう。
浴槽にお湯を張る際、じゅぼ!!っとお湯が出てくる、センサーでつく電気、炭酸飲料の蓋を開ける時のプシュッ!その他もろもろ
耳を塞いで防御したりしても、来るぞ来るぞという感覚が怖いのか、いまだに外出先でのトイレは、センサー付きか確認して入っている。
自宅のトイレはセンサーを切っているが、一人で行けるようになってからも、洗浄ボタンを押して飛び出してきていた。
そんなこんなでトイレトレーニングは非常に根気がいった。
トイレの流れる水や音とは別に、黒いもの?黒い丸?
トイレの流れる穴を怖がった。
先がどうなってるかわからない所に恐怖を感じたのかな?
この穴はどうなってるのか、その先はどうなってるのか、天井のスプリンクラーや、奥行きがありそうなものなどは怖がった。
そのわからない物の上に座るなんて!!ぎゃ~~~~てきな感じですね。
そもそも、下着も何もない状態で肌が触れるのすら嫌なんでしょう。
その延長でか、今でも自分以外が座った?と自分のお風呂の椅子にも、不快な想像をして、勝手に気持ち悪い・・・となっている。
外出先でトイレに行かすのが大変でした。
そもそもが行きたがらないので、説得からでした。
一緒にトイレに入り、便座に一緒にまたがったり、後ろから抱っこしたるからと、耳を塞いで怖がる娘と頑張りました。
周囲の冷たい視線もありましたね。
一見、そんなに大きい子が、普通?に見える子が??
てきな視線でしたね(笑)
現在では、音は嫌だけど自宅のトイレも一人で大丈夫だし、全く知らない外出先へは、私に小声で耳打ちして「これは自動じゃない?」と確認して一人で入ってます。
「一人で大丈夫やねんけど、一応(笑)」と、恥ずかしそうに弁解してる娘です。
その後に続く